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震災ガレキを考える

更新しないままうっかり一ヶ月以上が経過してしまいました。
その間に、ニワトリはすっかり大きくなり。
鳴き声に「ピヨピヨ」と「コケコケ」が混じりあう、変な状態になっています。
声変わりというか、思春期というか…。

農繁期(といっても寒い春に負けて昨年の売り上げの半分以下ですが。。)に入ったうえ、さまざまな周辺活動に手を出したおかげで、晩ご飯たべたらそのまま気を失うくらしになっていました。
あ、花粉が収まって晩酌が復活したせい(花粉飛散中は症状が悪化するので毎年禁酒です)、という噂も。。


それはさておき。

三重県が震災ガレキ受入れを表明したことで、「安全」な有機野菜がおびやかされるということで、食べてくださる皆さんに対してどのように対応していくか、伊賀有機農産でも議論になっています。
安易な対応はできないので、まずは勉強することから始めました。
放射能にはじまり、ゴミ処分場のこと、反対運動をするということ、いろんなことを学ぶ契機になりました。

そこで思ったこと。

1.われわれは分断されるべきではない。
 いまちまたは受入反対か否かで二分されようとしています。ともすると相手に対して攻撃的になってしまったりしますが、我々は分断されるべきではないと思います。
 ゴミは出てしまった。どこかで処分しなければならない。どこで処分するか、いろんな条件の足し算引き算で一番高得点の答えを見出したいのだけど、点の付け方は人それぞれで。
 大事な問題ではあるけれど、本質的ではない。
 本質的なことは、これから先、ゴミを出さない未来を創ること。
 ゴミを地中に埋めて何万年もの管理が必要なものを、子孫に残さないこと。
 それがわれわれの望むこと。
 小手先の方針の違いで、われわれは分断されるべきではない。と、思います。 

2.無菌室に逃げることはできない
 放射能がどのくらい危ないのか誰にも明確にわからないところが、その評価を難しくしている。
 どんな低線量でも細胞が浴びたら何らかの影響はあるように思われる。
 でも数少ない実例やラット試験では、影響はないか、かなりの低確率で起こるものらしい。 
 一方で、場合によっては健康にいいとされたりする上、日常的に飛行機に乗ったりCTスキャン受けたり、世界のある地域ではかなり高線量の放射線を浴びながら、ひとは生きている。
 つまりアレルギーと同じで、ある人には致命的でもある人には無害、ということか。
 じゃあ低率だったら、不運にも低率に属したひとは死んでもいいのかというとそうではないが、かといって100万人に1人を救うためにあらゆるコストをかけれるわけでもない。。。

 よくよく考えてみると。
 放射能に限らず、世の中は影響のよくわからないもので覆い尽くされている。
 農薬はそこら中に飛散し、ものを燃やせばダイオキシンは飛び散り、電磁波はそこら中を飛び交っている。微生物は至るところにウヨウヨ潜んでいる。非常に敏感なアレルギーを持つ人にとっては、街自体が猛毒の瘴気を噴き出す場所に見えるともいう。
 それらすべてから人間を隔離することはできない。
 放射能はその中のホンの一部という気がする。
 環境問題は、酸性雨に始まり、環境ホルモンだとか温暖化とか、いろんなブームを起こしてきたが(解決したから終息したのでなくブームが去っただけ?)、放射能もそのひとつではないだろうか。 

 自分が知らないだけで、真実は解明されている、と考えるのは幻想だ。
 科学は所詮、現象を後追いで説明するだけのもの。「科学的」は、絶対ではない。
 世界はわからないことで溢れている。
 我々はそのリスクのなかで生きている。普段はそうでないような錯覚に陥るけれども。

 わからないことを、受け入れる。
 まずそこから始めたらどうだろうか。
 人を疑ったり、攻撃したりするまえに。

 そして結末のわからない物質を、世界に撒き散らす暮らしから一歩引いてみる。
 全部否定しなくてもいい。
 でも、未来になにが起きるかわからない、ということを頭において、謙虚に、もうちょっとゆっくり歩んでみる。
 そういう風にできないだろうか。
 
 僕は正義とは合意だと思う。
 みなが納得したことが正義。
 だから滅多なことでは正義は達成されない。
 判断するということは、いつも一方でリスクを引き受けること。
 頑張れば正解がでる、なんてことは、じつは少ない。

 世界は無菌室では決してないし、清浄で満たされることはありえない。
 

3.考えることは、くらしを自らの手に取り戻す第一歩
 関心はあるけれど、どう考えればいいのか、むずかしい。。。
 という方は、結構たくさんいるんじゃないかと思います。
 そういう方は、賛成反対はっきりしてる人に対して、どこか肩身の狭い思いをされているように感じます。
 
 わからないから、放置する。という選択ももちろんあると思います。世の中のあらゆる問題に答えを準備するなんてなかなかできない。
 でも、だからといって何でもかんでも放置していたら、くらしはどんどん自分の手から切り離されてしまう。
 せっかく関心を持ったテーマなら、ちょっと調べてみる。ひとと話してみる。そして、その時点での自分なりの答えを出してみる。
 その積み重ねが、くらし取り戻す第一歩になると思います。
 
 今回は、多くのひとが関心を寄せるちょうどいい機会。
 みなでくらしを取り戻す練習をしてみればいいと思います。
 そのうち、自分で抱えきれない社会から少し身を離して、僕らみたいに生きてみたいと思うかもしれないでしょう?

 
4.自分の子供を愛すること
 目の前にいる自分の子供を守ろうとする親の気持ちを否定することはできない。
 放射能の問題は、被災地でも三重でも、「自分の子だけでも」という気持ちをエゴと解釈するかどうかでいろんな悲しい軋轢を生んでいる。
 自分の子を守れるのは自分しかいない。
 それでも、いつも争いは、自分を、自分の身内を、自分の民族を、ある特定のグループを他のグループと区別することにより、生まれてきた。自分の○○を守るために正当化される争い。
 そんなに、そのグループに含まれない人は、軽んじられていい存在なのか。
 とはいっても、地球の裏側の見たこともない人の幸せを、隣にいる人とおなじように願うことなんかできない。
 僕らの想像力はそこまで優れていない。

 だから、その親心とは戦いたくない。
 でも、その危険性も理解してほしい。比類なき我が子が、比類できないその他大勢の犠牲の上になりたつ危険性を。
 僕は子がいないので、軽々しくリスクを受け入れる覚悟を持てるのかもしれない。



ちなみに僕個人としては、震災ガレキ全体の1~2割という少量を、わざわざ遠方で処分する必要性がわからない(高いコストや放射能を拡散するリスクに対し、ちょこっと早く処理が終わるとか被災地に孤立感を与えないなどのメリットが小さいのでは)、という点で、受け入れなくてもいいんじゃないかと思っていますが、それは三重に限ったことでない。そして、この程度の国の施策に対する疑問は他にもいくらでもあると考えると、特にこの点についておおきく時間を割いて運動を展開することはないかな、と判断しています。
国も、常に悪意をもっているわけではなく、限られた情報と時間と手段の中で方針を決めねばならず、そこには少なからずボロが出るのは必然。放射能の影響、ガレキに放射能が含まれるか、検査体制は確実で信頼できるか、利権がからんでいるのでは、、、などなど判断の採点基準はどうしても個人差がでるので、ホントの正解にたどり着くことはできないと思っています。


字ばかりぐぅ
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No title

震災瓦礫は被災地にとっては深刻な問題です。
昨年、瓦礫置き場から何度も火災がありました。
適正な処理が早く進むことが少しでも有害物質を撒き散らさないひとつの方法かもしれません。
ただ個人的には、遠距離に運んで処理するのもどうかとは思いますが。。。。
利権も絡むようですし、仙台は復興特需で格差がますます、広まっているように思います。

子を持つ親としては原発の事故当時近隣県にいた子供には、被爆検査してほしいと思ったし。(もう遅いけど)
政府、県の対応は後手後手後手です。


ひよこちゃんの、成長具合写真にアップしてくださいね。
わが子同様成長が楽しみです。
プロフィール

ぐぅ&トミー

Author:ぐぅ&トミー
38歳♂・31歳♀・7歳犬。
有機農家になりたくて、伊賀に流れ着きました。
生かされている生活から、活きる暮らしを目指して。
多くの人を巻き込みながら。地道に。夢は大きく。
日々の作業や、想いをつづります。

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