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ひとの環をつくりたい

皮肉なことに、食料を自給自足し、経営も自分でやり、可能な限り全部自分でやってやろう、という有機農業の世界に入れば入るほど、人のチカラなしには生きていけない、ということを肌で感じます。

「ひとは、生まれ、響きあい、死んでいく」
ある書でそんなフレーズを見たとき、ああこれだな、と思いました。
生きる意味で悩んだりする人も多いけれど、生き物は目的をもって生まれてきたなんて思えないし、だからといって無意味に生きてるわけでもないと信じたい。
響きあうために。
人間関係は煩わしい、とよく言う。
でも、人の助けを求めているのは自分だし、自分が人のためにできることもある。
そう、前向きに、捉えたい。

僕がこのブログで伝えたいことも(伝わっているかは甚だ?だが)、ひとの背中をちょっと押したい、という気持ちから生まれています。

有機農業を志すひとに、ちょっとした勇気を持ってもらえるように。
そして、ただ働くだけじゃつまらない、ひとの役に立てるような、困った世界を少しでも解きほぐせるような、すこしでも自分の力を活かしたい、そう願うひとに、参加する場を提供できるように。
最近のことばでいう、社会事業家、でありたい。

P7191182a.jpg


就農2年目を迎えるにあたり、まだまだ足元はおぼつかないですが、お手伝いしてくれる人を受け入れたいなと思っています。
生活をかけている方の収入を補うことは難しいですが、ちょっと農業に触れてみたいという方の入り口として。そして、おなじような興味がある方々の交流の場として。
もちろん、就農を志す方の支援・研修の充実も、本格稼働させていこうと思います。これは僕個人ではまだ重いので、伊賀有機農産という集団として。

自分のチカラを知り、ひとのチカラに頼む。
有機農業の世界を、おおきな「ひとの環」に。

ぐぅ
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伊賀というところ

伊賀といえば。

忍者、ですね。
ちょっと詳しい人は、芭蕉、と言ったりします。

イメージ通り、伊賀は、霧の里です。

2009.11 088a

春や秋には、まいにちの朝霧に心癒されます。

また、伊賀は三重のコメどころでもあります。
伊賀米というのは、宣伝下手で全国区ではないですが、なかなかおいしい。

伊賀の田1

そんな里山の風景は、国道をちょっと入ったところに広がっています。

しかし、国道沿いは、非常に猥雑。
市街地は赤や黄の看板がデカデカと立ち雑然としてますし、くたびれたパーキングエリアにホテル、錆びついた工場などが散見されます。
ちょっと、優雅な田舎暮らし、とは行きません。

そして、実は産廃の町でもあります。
山を切り崩して廃棄物の埋め立て。
更には、生ゴミを畑にドカドカと投下するようなことも。
周辺の荒れた農地が業者に借り上げられると、雑木が切り払われて眺めがよくなる一方、土が悲鳴をあげているようです。

伊賀は、京都・大阪・奈良・名古屋から、1時間半圏内にあります。
伊賀を貫通する名阪国道は、高速道路並みに整備された無料の国道。
流通に優れ、またそれが、僕がこの地を就農地に選んだ理由でもあります。

伊賀が実は国内有数の有機農家数を抱える理由もここにあると思います。
農地が手に入りやすく、大都市圏への搬送が可能であること。

一方で、都市近郊の宿命として、工場地帯・ゴミ地帯となったのです。
関東でいう千葉のような立場でしょうか。
都市に生きる人の目に見えない汚い仕事を引き受けている。

優雅な田舎暮らし、とは行かないけれど、そういう今自分が生きている社会の生々しさを見つめながら、自然とともに生きていく。
伊賀とは、そういうことができる場所だと思います。

伊賀の田3

最初の大失敗

いま思えば笑うしかないですが。

昨年の9月に伊賀に降り立ったのは、まず自分が作りたいと思っていた「キャベツ」の苗作りに、ギリギリ間に合う時期だったから。
キャベツをトレイに播いて、育苗して、11月中に植えられれば、来春にキャベツの出荷が間に合うと聞いたからです。

108.jpg

そして、次の春まで収入がないのは困るので、冬に採れる作物を。
そう、冬野菜といえば、「ホウレン草」。
長野で研修中にホウレン草を作ったときは、8月下旬、畑を平らに起こして、コロコロと種まき道具でまくと、あとは放っておけば10月末にはホウレン草になっていました。

なんて簡単!
無農薬!

聞けば伊賀ではホウレン草の需要がおおく、いくら作ってもいいとのこと。
これは蒔かない手はない!

まず最初に借りた畑の草を刈り、
肥料を撒いて、畝を立て、
種をコロコロ。

085.jpg

あとはできるのを待つばかり。
これで12月1月の収入にはなんとか。。。

と思っていました。

結果は。

全滅。

ホウレン草とは、根っこが下にスルスルと伸びて初めて順調に生育します。
砂地の、水はけのよいところを好む作物です。
長野の地は、浅間山の火山灰土で、どこをとっても水はけのいいところ。
うまくできるのは当たり前でした。
ひるがえって伊賀は、戦後に山を削って造成した開拓地。
ガチガチの粘土地です。

P2050826a.jpg


ホウレン草はすべて、根っこが水に浸かって腐っていました。

「全滅。」

ひとことで表すのは簡単ですが、新規就農者にはこの上ない衝撃でした。
今後の見通しも立たない。
2ヶ月間の売り上げがゼロ。
投じた費用と時間がすべて無駄。。

これが僕のスタートでした。

農業にとって、土地の違い、天候の違いがどれほど重要か。
痛すぎる体験をしました。

でも、この失敗が、その後常に僕の頭の中にあり、春の大逆襲につながっていくのです。
と、いまだから笑って書けます。

ぐぅ

はじめかた2

1年前に伊賀市にやってきたとき。

僕が持っていたものは、
1.当面の資金(1,000万円)
2.借りた畑(1町歩)
3.売り先・仲間(伊賀有機農産供給センター)

これだけでした。

家も、車も、何から何まで、すべてはそのあと準備しました。
今なんとか生活できているので、とりあえずこれだけあれば農業は始められる、ということです。

1.の資金は、前回のブログで少し触れたとおり。
ただし繰り返し強調したいのは、1,000万円という数字に根拠はない、ということ。
僕は無知だったので、今思えば新規就農の素人である行政から聞いた言葉をそのまま鵜呑みにしただけです。

資金は、各県の新規就農支援制度で、無利子や低利子で借りることができます。
必ずしも自分で準備しなければいけないわけではありません。三重県の例です↓。
http://www.pref.mie.jp/NKEIEI/HP/syuno/8.htm
昨年まで、国の支援策で新規就農者に400万円を上限に助成金(返さなくてよい)がありましたが、今はもうなくなってしまいました。

これも繰り返しになりますが、資金の多さにかかわらず、成功する人は成功するし、失敗する人は失敗します。借金がある方が気合いが入る、という人もいるし、貯金の安心感がないと仕事に打ち込めない、という人もいます。
ちょっとした例ですが、僕の初めのお金の使い方。
・20万→一軒家を借りた(敷礼家賃)
・20万→中古の軽トラック
・40万→中古の23馬力トラクター
すぐにこれくらいはなくなります。
さらに最初の3カ月で、
・20万→肥料代
・30万→スコップなど細々した農具
・30万→月々3万のガソリン代、月々5万の家賃など
はじめにまともな売上が上がるまで、400万ほどマイナスになりました。

ちょっと書きすぎました。詳しくは、また後日。

里山3


2.畑ですが、案の定なかなか見つけられません。
借りられそうになっても、条件が悪かったり、土壇場でひっくり返ったり。
何の地縁もないと、当然ですね。
行政がかなりやる気でない場合、人脈でもないと難しいのが実情です。
結論としては、足で情報を稼ぐなかで、懇意にしていただいた伊賀有機農産の松井さんの口利きで、どうにか一つ見つけることができました。
これが2枚で1町歩。
でも、あとで気付くことになるのですが、畑としてはすぐ使える状態ではなく、始動までには苦しい想いをしました。

でもとにかく、なんとか「人」のチカラを借りて、畑を1ヶ所見つけることです。
その後は、自分のチカラ。
そこで頑張っていれば、必ず周りのだれかが見ていてくれます。
産地形成されていて、農業で儲かって跡取りがいるような場所でない限り、必ず畑をだれかに管理してほしいという人はいます。
その人たちの目に留まれば、畑は自ずと増えていきます。

SANY2058.jpg


3.売り先・仲間。
もちろん上記二つも必須条件ですが、実はこの3.が一番大事だったりします。
なぜこれだけ多くの農家がいながら、跡取りがなく、畑が荒れていくのか。
農業が儲からないからです。
なぜ儲からないか。
畑を見ればわかるように、農作物が作れないからではありません。
売れないのです。
どうやって売るか。
それは経営の根幹であり、いままでの農家が農協まかせで、いかに「経営」をしてこなかったか、ということだと思います。

そう頭でわかっていても、新規に就農した者には、売るモノがない。
売るモノがないのに、営業はできませんね。誰も買う約束をしてくれない。

僕は就農地を探すとき、まず売り先から考えました。
そして売り先に持っていける場所で畑を探そう、と。

伊賀にたどり着いたのは、もちろん伊賀有機農産というグループの魅力があるのですが、そこが「売るチカラ」を持っていたからです。
まだまだ売ってくれと言われているのに、生産量が足りない。収穫物があれば、全量引き取れる。しかも、年間通じて契約で取り決めた一定の価格で…。
そんな条件のところ、滅多にお目にかかることはできません。
そして実際、この条件がなければ、新天地で失敗続きの僕が、就農1年にしてこうして無事に生活していられることもなかったでしょう。


大事なものを一番あとまわしにしてしまいました。
なにより、僕がここにいるのは、伊賀有機農産という仲間がいたことです。
初めて作付けた畑が直後の台風で水没したとき、収穫の手伝いバイトに誘ってくれました。
畑をそっと見に来ては、アドバイスをしてくれる。
そして、新規就農の先輩として、生きていけてる姿を見せてくれる。

苦しいとき、この地にどうしても「シガミツク」ための、何かが必要です。
好条件だけを考えて就農したのでは、失敗したとき、自分の最初の判断が間違っていたのだと考え、ホントに心が折れてしまう。
でも、「シガミツク」何かがその地にあれば、なんとかしてここでやってやろう、と思う。
僕にとってそれは、「仲間」でした。

最後は、自分の心に聞いてみるしかない、ってことですね。

いわん05


ぐぅ

はじめかた1

とりあえず、今の僕の立ち位置の話から。。

二十歳のときに農業を始めたいと思い、まず訪ねたのは池袋で開催されていた就農フェアというイベントでした。
http://www.nca.or.jp/Be-farmer/event/

今でこそ大盛況で、多くの市町村・農業法人がブースを並べていますが、当時は会場も閑散としていて、来場者も年配の方が多かったと記憶しています。
就農相談窓口に座っても、まずは資金の話になり、学生であった僕には、いますぐ農業に飛び込むのはかなりの冒険だと感じられました。

農業にも、いろんな種類があります。
いきなり大規模な投資を必要とするガラスハウス張りの花卉栽培から、土に種を落とす自然農まで。そして、どのようなはじめ方をしても、失敗する人もいれば、成功に導く人もいます。
僕が目指したいのは、能力、運、努力、センス、人脈や来歴など、誰もが別々の条件の中で、農業に挑むなかで、平凡な素人が、一通りの努力を重ねればこのぐらいにはなれる、という道を描くことです。
それさえあれば、多くの人が農業を目指し、その道を基にそれぞれのタイミングで分かれ道を歩いていき、いつか大きな木になるんじゃないか、と思うからです。

ともかく、当時の僕は、借金を背負って農業をはじめるほどの度胸はありませんでした。
貯金をためること。
そして、いっぱしの社会人として仕事をし、仕事の仕方、商売の仕方、経営の仕方を肌で感じたいと願いました。
まずは、新卒として一民間企業に就職する道を選んだわけです。
大学で道草を食った僕は、24歳で無事メーカーに就職。
6年間のサラリーマン生活は、工場勤務から原料バイヤーとしての仕事まで、思いのほか幅広く経験することができました。

OCT09.jpg

そして、予定通りの6年目、30歳になったのを機に、農家になるための研修先を探し始めました。
貯金は約1,000万円ほど。
前記の就農フェアで、「このくらいの資金は…」と言われた水準に達していました。

あれこれ探した結果、見つけたのが長野県の農業生産法人有限会社トップリバー。
http://www.topriver.jp/
今でこそ、テレビで紹介されるなどして名の知れた存在となっていますが、当時は全くの無名。

farm land

それでもそこに魅かれたのは、
1.同年代の若者が多い。
  →将来の農家ネットワークを広げる礎となる。
2.それなりの給料がもらえる。
  →独立するまでに資金を減らさずに済む。また、赤字経営をしているような農業は見習いたくない。
3.3年目で直営農場の責任者になれるチャンスがある。
  →自分でリスクを背負わずに畑をやれる、またとない研修ができる。

そんなこんなで、2年半の研修を終え、最終就農先を伊賀と決め、この地にやってきました。

繰り返しますが、どんなやり方をしても、成功する人もいれば失敗する人もいます。
その人にとって最低限(これもいろいろな基準がありますが)の「資金」と「技術」があれば、とにかく農家としてスタートは切れる。
僕にとっての「資金」とは、初期投資(トラクターを買ったり、種や肥料を買ったり)+2~3年売上がなくても生活していけるだけの貯金でした。
そして「技術」とは、人並みの農家らしく動ける体力と、「こうしろ」と教えてもらったときにそれを理解して作業ができる程度の技術。なんとか売り物になる作物、というレベルなら、前記の「技術」があれば、土に種を落とせばなんとかできる、ということに途中で気付きました。

僕が就農までの準備にかけた時間は、サラリーマンの6年間と、研修の3年間で、計9年。
これを長いとみるか、短いとみるか。
成果はこれから現れることでしょう。

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ぐぅ

10月の伊賀

10月の伊賀と言えば、作付まっただ中。

伊賀の夏はやっぱり暑くて、露地では果菜類(ナス・キュウリなどなど)くらいしか採れません。
夏の終わりを感じるお盆明けの8月中旬以降、秋作の種まきが始まります。
だいたい9月いっぱいまでかけて、年内採り(12月まで)の野菜の種を播きます。
小松菜、ホウレンソウ、大根から、植え付けするレタス・キャベツの苗づくりまで。

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10月に入ると、今度は冬野菜。
冬は寒くて、野菜はゆっくりゆっくり伸びる一方、畑においておいても日持ちします。
種まき一日のズレが、仕上がりで数日のズレとなって現れる一方、数週間かけて出荷する分の種を一度に蒔いてしまうこともできます。時期によって、作業が違うんですね。
11月上旬までかけて、来年3月頃までの野菜を作付します。

この時期、雨が続いて種が蒔けないと、秋冬に収穫なしの期間ができてしまいます。
だからいつも天気予報とにらめっこ。
伊賀の土は重粘土で、雨が降るとネバネバ、乾くとガチガチになります。
長年土づくりをしてきた農家さんの畑ならいざ知らず、荒地を借りるのが精いっぱいの新規就農者の畑は悲惨です。
一瞬の隙をついての畑づくり。

明日も蒔くぞー。

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ぐぅ

世界は変えられる!?のか

就農方法や有機農業の実際の話に入る前振りにしては、長々と抽象的な話になりますが。

「世界を変えたのは、世界は変えられると信じた人たち。」
そんな言葉を見たのは、大学生のころだったろうか。

でも実際の社会は、複雑に組み上がっていて、堅牢で、窮屈で。
矛盾だらけの世の中に憤りを感じつつ、とても自分の力なんかの及ぶ世界ではないように感じていた。
社会をぶっ潰す、そんな意気にあふれていた60年代や、維新の時代は、羨むべき別世界だと。

あれから年をとり、社会経験もした。
日々の暮らしを成り立たせながら、社会がそれなりの必然性をもって出来上がってきたことを知った。
それは最初からつぎはぎだらけで、矛盾がつきものであることも知った。
「世の中を引っくり返した」あとに、行きつくべき先を、自分が知らないことも知った。
何十億という人間が住むこの世界を、たった一人が簡単に変えられるようにできていては、それこそたまらない、ということも。

でも一番思ったのは、ちょっとしたきっかけで、意外に簡単に世の中はひっくりかえるんだ、ということだ。
世界の国を見渡すと、10年前には想像もできなかった今を迎えている国は、けっこう多い。
日本だって、10年前に学生だった僕らと、今の学生とでは、見えている世界がだいぶ違う。
世の中、意外に簡単に変わる。

では、「有機農業的世界観」が、世の主流になることだって、ありえる。
もちろん、僕一人の力でできることではない。
きっと、一人また一人と、同じような考えを共有し、いつしか広く深く人々の間に浸透していって、「あ、そういうのもありかも」と、多くの人が思ったときに。
誰かが、うまい具合に「スイッチ」を押せたなら。

意外に簡単に、世の中は変わるんだと思う。
強引に変えるのではなく、ある種の必然性をもって。

いつの日か、そうなったときに慌てないように。
願わくば、自分が最前線に立っていられるように。
非常に抽象的だけれども、そんな気持ちで、農家を目指します。

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ぐぅ

思い立つまでの話

思い立ったきっかけ。
こんな話を書くのも、農家になる前の僕は、どこにでもいる普通の都会の若者であった、ということを書いておきたいから。
またこのブログを始めるにあたり、自分の原点に立ち返るためにも、必要だと思ったからです。
そして、小さなきっかけで、人生の針路を振り向けていくことも可能だということを、伝えられたらと。。。

14年前の二十歳のとき。
大学生になる僕は、多くの若者が立ち止まるのと同じく、自分の人生の針路をどこに向けようかと悩んでました。
ときは、1996年。
僕の生きてきた時代はバブルの最中、海外に出れば日本人が「エコノミック・アニマル」と呼ばれた時代。
自分の前になんとなく引かれたレール、頑張ってたどり着く先に見えるのは味気ない裕福な暮らし。
日本の社会に、やるべきことも居場所も見えなかった。

翻って外を見れば、世界には多くの問題が横たわっていた。
特に、1992年にリオデジャネイロで開かれた地球サミットは、これからの世界の課題は環境問題であると告げていた。
今でこそ言い古された温暖化も、当時は公害や農薬汚染、酸性雨や野生動物保護といった個々の問題をはるかに超えた地球規模の環境破壊として、センセーショナルに受け止められていた。
人生を賭けて、取り組む価値のある問題に思えた。

右も左もわからないまま、いずれ国際協力という形で海外に出ていくことを志した僕は、技術的専門家としてわかりやすい「農学」を選択し、大学に進学しました。
それでも明確な目標が見えず、鬱々としながらも、手さぐりでいろんな世界を覗こうとしていた二十歳のころ。
あるきっかけで、タイ・バンコクにある国連事務所で2週間アルバイトをする機会にめぐり合いました。
そこで親しくなったあるインド人から、こう言われたのです。

「ジュン、君は日本人で農学をやっているなら、ミスター・フクオカを知っているだろう?」
「???」

僕は、どこの大学教授の話をしているんだろう、と思いました。農業者といえば、学者という発想しかなかった。
彼は、ホントに知らないの?、という顔で、「One Straw Revolution」という一冊の本を渡してくれました。
福岡正信著「わら一本の革命」でした。

わら一本2


福岡翁は、2年前の2008年、95歳で亡くなるまで、不耕起・無肥料・無農薬・無除草という自然農法を提唱し、世界に伝道して歩いた日本人です。
アジアのノーベル賞と呼ばれるマグサイサイ賞を受賞し、世界的に著名な方ですが、日本ではつい最近まで顧みられることのない人でした。

当時の僕は、生き場を求めて世界に出歩いていたのに、出会う人出会う人に日本の発展を羨まれ、世界が日本のような社会を目指していることに、戸惑いを感じていました。
そんな中、福岡翁に出会ったのです。
彼は、日本の中で、立派に百姓として生き、生きることを知っているように見えた。
衝撃でした。
僕は、なんで外に逃げようとしていたのか、と。
国際協力と称し、人に生き方を「教える」前に、自分が生き方を知らなければならないのではないか、と。
そして、多くの人が日本のような社会を望むなら、日本の社会をもっと住み良いものに変えていかなければ、多くの人がいずれ僕らと同じような閉塞を味わうことになるのだ、と。

それが、僕が日本で百姓になることに決めたきっかけです。

ゴールはまだまだ先にある。
でも、まず百姓になることが第一歩です。
真の百姓には、一生かけてもなれるかどうかわかりませんが。

SANY2021.jpg

ぐぅ
プロフィール

ぐぅ&トミー

Author:ぐぅ&トミー
38歳♂・31歳♀・7歳犬。
有機農家になりたくて、伊賀に流れ着きました。
生かされている生活から、活きる暮らしを目指して。
多くの人を巻き込みながら。地道に。夢は大きく。
日々の作業や、想いをつづります。

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